「この家は社会の役に立つことに使ってね!」との遺言を残し、「この家」で長年保育ママをしていた母は旅立ちました。「この家」とは「私の実家」で「現在のCASA」へとつながっています。また、保育ママとは、保育士・看護師・教員などの資格を持ち、自宅に保育をするスペースがあるなどの条件を満たした上で、自治体の認定を受け自宅で子どもを預かる制度です。母は教員の資格を持っていたので、私が小学4年生の頃から15年間保育ママとして、通算36人の子どもたちを預かり・育てました。「この家」にはいつも幼児たちがいました。この環境が私の子ども好きの原点です。
母が旅立ってから約5年間、「この家」は「空き家」となっていましたが、母の思いを引き継ぎ、「実家のように安心できる場を作り、そこに様々な世代の人々が集い、みんな一緒にワイワイ!過ごしながら育ちあう」を応援したいと考え、2015年から実家改修に着手し、スペイン語で「家」を意味する「CASA(カーサ)」と名づけ活動をスタートしました。
かつて「この家」は、いつも勝手口(*注)が開き、多くの人々が出入りしていました。「ただいま!」と帰ると「お帰り~ぃ!」と複数の声と笑顔が迎えてくれました。夕刻には、子どもを預けていたお母さん(お父さんはごくまれ)が迎えに来ます。親子の笑顔がはじける瞬間ですが、時々、顔を突き合わせ「真剣に話すシルエット」が今でも鮮明に残っています。悩みごとを話すお母さんとそれを聴く母の姿です。今でこそ、カウンセラーやコーチなどの職業があり、私もその資格を持っていますが、この時の母こそ「真のカウンセラー」だったと思います。CASAも最近はいろいろな相談を受ける機会が増えてきました。そんな時にいつも肝に銘じているのは、あの「真剣に話すシルエット」です。
今日3月18日は、母の命日です。母の遺言を受け継ぎ、CASAを「地域の実家」として再生する活動の推進を改めて決心した1日でした。
*勝手口:CASAに来る子どもたちに聞いても知っている子はごく少数。台所についている出入口のこと。サザエさんの三河屋のサブちゃんがビールなどを届けに来る所です。日常の出入りは、玄関でなく勝手口を利用していました。
小沼 好宏