4/20の「ナルシスト?」と題したブログで、テーブル表面の横から2つの小さな芽を出したキバナコスモスのことを書きました。テーブル表面はタイルでその下にコルク材があり、そこに根を伸ばしていたのです。このままでは栄養分を吸い上げる土がないと考え、慎重に引き抜き、移し替えました。
その後、どうなったでしょうか? 残念ながら、3~4日後に枯れてしまいました。3/15の「置かれた場所で咲きなさい」と題したブログで、渡辺和子さんの著書「置かれた場所で咲きなさい」を紹介しました。この本には、「咲くということは、仕方がないと諦め・恨むことではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすること。置かれた場所こそが、今のあなたの居場所なのです…」と書かれています。枯れてしまい、とても後悔しました。無理に引き抜かず、置かれた場所にそのままにしておけばよかったのではないかと…?
子どもたちとも話し合いました。「置かれた場所にそのままにしておけばよかったのか?」「土がなければ成長できないから、抜いて土に移し替えてよかったのか?」いろいろな意見が出ました。いろいろな意見を聴いているうちに、これは
「人を育てること」そのもののように感じました。
5/12にあのテーブルから、また小さな芽がでているのを見つけました。前回の反省を活かし、今度はどうしようか相談し、2リットルのペットボトルを切り抜いて、中に土を入れてテーブルに取りつけました。それから1ヵ月。小さな芽は約10cmに成長しています。ペットボトルの後ろでは、ミニオンの人形が手をたたきながら成長を応援しています。
土は植物の成長に欠かせません。それだけではなく、ちょうどいいタイミングで青山俊董さん(曹洞宗の大教師、女性、1933~)の
「泥があるから、花は咲く」という本と出合いました。この本には、「…泥がなければ、花は咲きません。人生の苦しみ・悲しみを泥にたとえることができるでしょう。苦しみ・悲しみという泥が原因となり、よき師・よき教えという縁に出会うことができ、泥は肥料に転じ、美しい花を咲かせます…」とあります。CASAも子どもたちの泥となり、子どもたちの成長を応援します。
「小さな芽」「ペットボトルで土を設置」「成長中の芽」の3枚の写真です。
小沼 好宏