中学校時代の国語の恩師であるT先生から、新年のお手紙をいただきました。
「子どもたちは、小さい頃から20歳くらいまでに手にした職にせよ、学びにせよ生涯の宝物になります。大変でしょうけど方向づけしてあげてくださいね」とCASAへのエールが記されています。
4年前のお手紙には「この正月、尊敬する先生にお別れしました。102歳でした。100歳のお祝いでお会いした折、『長生き比べをしましょうね』と握手された先生でした。この先生から頂いたものを体が言うことをきいてくれる限り、
皆さんにお渡しして置かなければと思います」とあります。
私は中学1年生の時に、T先生の授業で「朗読の魅力」「日本語の美しさ」に、腕白坊主でありながら心震わされました。先生が左手をちょっと腰にあて、教科書を右手で持ち、朗読しながら生徒の机の間を歩くと、その凛とした声が壁に心地よく反射・木霊し、教室中の空気が震え、包み込まれたことを鮮明に記憶しています。
また、近年のお手紙の中でも、立冬の頃には「きっぱりと冬が来ましたね(高村光太郎)」との書き出し、ある時には「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてありなむ。死なば多くの実を結ぶべし。(新約聖書 ヨハネ伝)」などと教えに富んだ言葉が散りばめられています。その度にこちらは改めて調べ・学ぶことになります。
私はT先生からの教えを受け、高校・大学でも朗読に興味を持ち、社会人になっても「言葉を大切にし、伝えること」「伝えたつもりで伝わっていないというビジネス病」の解決を1つのテーマとして仕事をしてきました。そして今は、CASAに「ぷれぜんルーム」という部屋を作り、そこで子どもたちと朗読を味わったり、プレゼンテーションの練習をしたりしています。
人生における幸せの1つは、T先生のような
「人間の本物」(人間の中の真の人間という意味の造語)と呼べるような「人生の師」に出会えることだと思います。そして「人間の本物」に出会ったなら、学んだことを次の世代に
「継承する義務」があると考えながらCASAを運営しています。
小沼 好宏